【全日本通販倶楽部 特別連載】イギリスと認知症〜国家戦略とケアの歩み〜

はじめに:

国際社会を牽引するイギリスの認知症対策 現在、国際社会において認知症対策のリーダーシップを取っている国の一つがイギリスです。イギリスは、2013年に当時のG8加盟国(現在はG7)を招集し、「G8認知症サミット」を主催しました。このサミットの目的は、参加国間での認知症に関する知見を共有し、グローバルな解決方法を導き出すことであり、この会議には日本も参加しています。本記事では、事実に基づき、イギリスが国を挙げてどのように認知症対策に取り組んでいるのか、その具体的な戦略やケアの手法に関する客観的なデータと動向を詳述します。

1. イギリスにおける認知症患者の現状と予測

イギリスにおける認知症施策を紐解くにあたり、まず人口動態と患者数の推移という事実を把握することが重要です。イギリス全土において、2007年の時点では約70万人の認知症患者が存在すると推計されており、これは当時の人口の約1.1%に該当していました。イングランドに限定した場合でも、同時期に約57万人が罹患していると推計されていました。また、当時の認知症患者の症状の分類については、55.4%が軽度、32.1%が中度、12.5%が重度であるという状況が報告されていました。

その後、高齢化や人口増加などの要因により、認知症患者の数は増加の一途をたどっています。英国アルツハイマー協会のデータによると、今後の予測として、2040年にはイギリス国内の認知症患者数が140万人に達すると見込まれています。かつて2007年のDementia UKの予測では、2021年に94万人、2051年には174万人に増加するという推計も出されていました。世界的に見ても、認知症患者数は2010年時点で3,560万人と推定され、2030年には6,570万人、2050年には1億1,540万人に増大すると予測されています。これらの事実から、イギリス政府にとって認知症への対応は、待ったなしの国家的な急務として位置づけられてきたことがわかります。

2. 2009年発表の「認知症国家戦略」と18の目標

このような背景から、イギリス(イングランド)は2009年2月に、認知症対策の5か年計画である「認知症国家戦略(Living well with dementia: A National Dementia Strategy)」を発表しました。この戦略の最終的かつ最大の目的は、「認知症とともに良き生活(人生)を送る」ことの実現に置かれています。イギリス政府は国家戦略の発表とともに、地方サービスへの新たな予算として1.5億ポンドを確保し、保健省内に認知症局を設置して本格的な政策推進に着手しました。 この国家戦略では、以下の3つの基本理念が設定されました。

  • 医療・介護に携わる専門家、ならびに一般市民を含む非専門家、双方への認知症に関する正しい理解の普及(認知度の向上)。
  • 早期診断を行い、認知症本人とその家族や介護者に対して適切な支援と治療を行うこと(早期診断と介入)。
  • 刻々と変化する多様なニーズを満たすため、幅広いサービスを展開すること。

これらの理念のもと、2014年までの5年間を集中期間と定め、17項目の政策目標が掲げられました。具体的には以下の通りです。

  1. 一般市民および専門家の認知症の気づきと理解を改善する
  2. すべての認知症の人々に良質な早期の診断・支援の機会を提供する
  3. 認知症の診断を受けた人とそのケアラー(介護者)に良質な情報を提供する
  4. 診断後のケア・支援・助言へのアクセスを容易にする
  5. ピアサポート(同じ経験を持つ人の支援)の仕組みとネットワークを構築する
  6. 在宅生活を支える地域支援サービスを改善する
  7. 介護者への新しい支援制度(New Deal for Carers)を実施する
  8. 一般病院における認知症ケアを改善する
  9. 中間ケア(退院後や入院前に必要な支援)を拡充する
  10. 住宅支援、テレケア(遠隔ケア)などを活用して在宅生活を支援する
  11. 介護施設におけるケアの質を改善する
  12. 認知症の人の人生の最終段階(終末期ケア)を改善する
  13. 認知症に対応できる知識と技能を持つ人材を育成する
  14. 医療・介護サービスが連携して認知症対策を進める仕組みを作る
  15. サービスやシステムの評価・規制を改善する
  16. 認知症の原因や治療法に関する研究を推進する
  17. 地域サービスを支援するため、国・地域レベルで効果的なサポートを提供する

その後、2009年11月に有識者による『認知症の人への抗精神病薬使用に関する報告書』が出されたことを受け、「抗精神病薬使用の低減」が18番目の新たな目標として追加されました。政府はこれらの目標のうち、「プライマリケアにおける早期診断・早期支援」「総合病院における認知症対応の改善」「介護施設における認知症対応の改善」「ケアラー支援の強化」「抗精神病薬使用の低減」の5つを最重要課題(重点政策)として選択しました。また、2014年までに「生活を楽しむことができている」「私の病と生活にとって最善の治療と支援を受けることができている」といった、認知症の人にとっての10の成果を上げることも目指されました。

厚生労働省

3. 「首相の認知症への挑戦 2020」の策定と認知症に優しい地域づくり

2009年の戦略に続き、イギリス政府は2015年に国家戦略の新たな首相方針として「Prime Minister’s Challenge on Dementia 2020(首相の認知症への挑戦 2020)」を策定しました。この実施計画では、支援方法を理解するコミュニティや、認知症に優しい地域づくり(Dementia Friendly Communities)が重要視されています。 この計画において設定された5つの優先事項は以下の通りです。

  1. 認知症対策で世界をリードし続ける役割を担う
  2. 老齢にともなう認知症へのリスクを低減させること
  3. 医療と介護の質を高めること
  4. 地域における認知度を高め、認知症に優しい地域づくりを行うこと
  5. 研究開発を推し進めること

特に「認知症に優しい地域づくり」という目標においては、認知症に対する理解者である「認知症フレンズ」を、2020年までに400万人まで増員させることが具体的な目標として掲げられました。また、政府と英国アルツハイマー協会が連携し、認知症に優しい企業(Dementia Friendly Businesses)になるためのガイドラインに沿った試行的な運用も行われるなど、社会全体を巻き込んだ対策が進められました。

4. ボランタリーセクターの貢献と医療連携:「アドミラル・ナース」と「メモリーサービス」

イギリスの認知症対策を語る上で欠かせないのが、インフォーマルな支援団体と専門職の連携です。 イギリス最大の高齢者向けボランティア団体であるAge UKや、ロイヤルボランタリーサービス、英国アルツハイマー協会などが、地域において認知症当事者のケアを支援しています。イギリスの国家戦略においても、在宅生活の継続を可能にするため、家族介護者への支援(カウンセリングやレスパイトなど)を強化するとともに、アルツハイマー・カフェなどのボランタリーセクターによる取り組みを推進するための支援が重要視されています。

専門的な連携体制としては、「アドミラル・ナース」と呼ばれる認知症専門の訪問看護師の制度があります。1990年に第一号が誕生したこの専門職は、認知症と思しき症状が出始めた家族を前にして戸惑い、不安やストレスを感じる当事者や家族に対して個別支援を行います。さらに、地域単位で行われている「メモリーサービス」も重要な役割を果たしています。これは、家庭医と病院の医師がスムーズに連携する仕組みであり、認知症の疑いがある高齢者に対して血液検査やMRIなどの精密検査を実施し、早期診断につなげる体制となっています。

5. ケアの基本理念:「パーソン・センタード・ケア」

これら国家レベルの制度設計やケアの実践の根底にあるのが、イギリス発祥のケア理念である「パーソン・センタード・ケア(Person Centered Care)」です。この理念は、1980年代後半から1990年代前半にかけて、イギリスのブラッドフォード大学の社会心理学者・老年心理学教授であった故トム・キットウッド氏によって提唱されました。 パーソン・センタード・ケアとは、認知症を単なる脳の障害という疾患としてのみ捉えるのではなく、その人を1人の「人(パーソン)」として尊重し、その人の視点や立場に立って理解し、その人らしさ(パーソンフッド)を尊重したケアを行おうとする考え方です。 キットウッド氏は、認知症の人の行動や状態を作り出す要因として、以下の5つの視点(多角的な面)から本人の立場に立って考えるアプローチ方法を提唱しました。

  • 脳の障害などの「疾患」
  • 身体的健康や感覚機能などの「健康状態」
  • これまでの「生活歴」
  • その人の「性格傾向」や心理
  • 本人を取り巻く人間関係などの「社会心理・社会的背景」

この手法では、入居者(当事者)が生きている喜びを感じたり、穏やかな気持ちで過ごしているときを、その人が「よい状態(その人らしい状態)」にあるとみなします。反対に、悲しみや寂しさ、退屈、孤独を感じているときを「その人らしくない状態」と捉え、できる限り「その人らしい状態」で暮らせるよう、一人ひとりの状態やニーズに見合った個別的な援助を行うことを主旨としています。この理念に基づくアプローチは、ケアを受ける人だけでなく、ケアを提供する人も含めたすべてが「その人らしく」あることを目指しています。 イギリスでは、このパーソン・センタード・ケアの理念の実践を目指し、認知症高齢者ケアの質の向上のための観察評価手法として「DCM(Dementia Care Mapping:認知症ケアマッピング)」が開発されており、これはイギリス国内において認知症ケアの国家基準として位置づけられています。

【参照元文献・資料】

  • 認知症国家戦略の国際動向と それに基づくサービスモデルの国際比較研究 報告書 – 厚生労働省
  • 英国における認知症当事者のケアとインフォーマルサービス – 関西大学
  • 海外各国(英,米,蘭)は認知症に対して取り組みは?具体的な対策を比較!
  • 英国の高齢者認知症施策におけるチャリティ団体の役割
  • 【Study Note】イギリスの認知症国家戦略 Part3
  • イギリスの認知症ケア動向Ⅴ
  • 世界アルツハイマーレポート
  • What are the costs of dementia diagnosis and care in the UK? – Alzheimer’s Society
  • パーソン・センタード・モデルとは? – 沖縄県介護福祉士会
  • パーソン・センタード・ケア|社会福祉法人ほなみ会
  • 日本における認知症ケアマッピングに関する研究の動向
  • 認知症 参考資料 – 厚生労働省
  • 認知症とともに生きる社会 – 厚生労働省
  • パーソン・センタード・ケア 2. ひもときシートについて – 認知症介護情報ネットワーク